都市の鼓動を聞こう。
参照:青井哲人「都市アウターリング研究 事始め − 〈際〉はどこにあるか?」(10+1 website 2017年9月 特集「都市の〈際〉」 →http://10plus1.jp/monthly/2017/09/)
江戸の朱引・墨引の外側を歩こう。
20世紀前半のシカゴ派都市社会学に、近代都市における社会階層の空間編成をモデル化する、一連の同心円地帯モデルがあります。それら自体は必ずしも江戸−東京には当てはまりませんし、同心円モデルにこだわる必然性もありません。ですが、都市という全体のダイナミクスを捉えるため、比喩的にいえば都市の鼓動を聴くための方法を考えてみる必要はあるでしょう。
そこで考えたのが、都心と郊外の、その〈あいだ〉に広がる歴史的変転の激しいエリアを「outer ring」と呼ぶことで、いったん仮説的に括りだしてみることです。まだ直感的なのですが、ここに着目すると、東京を、第一義的には(消費ではなく)生産 production +流通 logistics の観点から捉え直す視点が前景化してきます。
仮に、皇居から8Km圏くらいをインナー・シティ、8〜16Km圏くらいをアウターリングとするのがよさそうです。それくらいのスケール感を持てば、メガシティ東京の歴史的なパースペクティブを、近世から現代まで語りやすくなるように思われます。
この距離感は、歴史的にいえば、(冒頭で述べたように)江戸の実質的な市街地の範囲を示す「朱引」「墨引」のすぐ外側を囲む地帯を見ることに対応します。そこには、一方では江戸の消費人口100万を支える「生産」 production(農業・漁業)の社会=空間が人工的に植え付けられ、また他方では、諸街道の出入り口=輸送/伝達の「口 gateway」、言い換えれば商人・旅人と遊興・宗教とがかたちづくる、文化の「際 threshold」が立ち現れていたといえるでしょう。
そうした空間が、近代における第1波(1900〜30)、第2波(1950〜70)の開発を受け入れて、多様な市街地に変貌します。
それぞれの場所に近世中期までに与えられていた「生産」上の役割とその特質のうえに、近代以降の新たな「生産」の論理や、その否定のプロセスが重ねられ、それら市街地の社会的重層性を特徴づけ、独特の文化をかたちづくり、また政治的な傾向性にも当然ながら影響を与えていきます。
そこには相当に激しい変転の歴史が刻み込まれているでしょう。しかしその変転の下に、近世以来の地形と生産の関係性が色濃く残り、現代の速度に一定のガイドを与える定規となっているところにも、「outer ring」の特色を見いだせるでしょう。
この研究では、outer ring を無理に inner city や suburb と対照させたり、outer ring ゆえに必ずある特徴を分有しなければならない、といった素朴な決定論の構えはとりません。そもそもどこが inner でどこが outer なのか、どのような視点からそれを議論すればよいのか、そもそも inner/outer という図式には意味がないのか、こうした問いに答えるのは容易ではありません。都市の変化の波頭は、もっと遍在的にいろいろな場所に顕れるものです。
たくさんの場所を歩き、それぞれの歴史的な個性を具体的かつ緻密に描く作業を続けていくことで、アウターリングについての私たちの仮説が解体され、書き換えられていく運動性そのものが知的な楽しみなのです。
そうして東京の多面的な歴史的な相貌が開かれ、同時に、それが何らかの新しい統一的理解を指し示してくれるだろうことを期待しながら、毎回レポート冊子『TOKYO OUTER RING』を制作していきます。
近々、テーマを立ててアウターリングを俯瞰するような特集号も組んでみたいと思っています(都市アウターリング研究体)。
バックナンバーの表紙はこちらで見れます。